おじいちゃんの話。
はじめまして、まいです。
昨日、マンションを追い出されました。
今日はおじいちゃんのことを書こうと思います。
おじいちゃんはひとことでいうと「クソジジイ」でした。でも、なぜか人々に愛され続けた、愛されじじいでもありました。
彼は、生まれてから1度も定職に着かなかったのですが、どこかのおばあちゃんをナンパしてお小遣いをもらい、おやつを食べたりパチンコをしたり幸せに暮らしていました。
貧しい家の末っ子として生まれたおじいちゃんは、4人の姉に可愛がられて育ち、祖母と出会って結婚し、子供を持ち、孫が生まれ、
盗難自転車で徘徊中、2回、車にはねられました。
ある意味、才能と言えるほどの無責任さを持っていて、ポジテイブとは少し違う「なにも考えない」の天才でした。だから、自転車泥棒で捕まった時も、どこか他人事のように「捕まっちゃったぜ」くらいのノリでヘラヘラしていたのです。
そんなおじいちゃんと幼小期のほとんどを一緒に過ごしました。
だけど、服を着替えさせたり、おむつを替えたりは出来ませんでした。もちろん、お風呂なんかも入れられません。その上、私の母からもらった食事代はパチンコに使っていました。だから、2人とも常にお腹が空いてたし、臭かった。
ですが、彼なりには一生懸命世話をしてくれていたようで、空腹を紛らわすために雑草をしゃぶらせてくれたり、サワガニを捕まえてくれたり、今思えば、畑泥棒もしていました。
おじいちゃんは保育園の送迎を欠かしたことはありませんでした。小柄なおじいちゃんがママチャリの前カゴにちっちゃい私を乗せて保育園まで送って行く姿は、ちょっとした町内名物にもなっていました。
ただのろくでなしのようですが「それでもいいか」と人に思わせる魅力を持っていました。
人生で一度も自分を責めた事がないせいか、いつだっておおらかで、いい意味で物事を深く考えたりもしなかった。だから、きっと、毎日を幸せに過ごせていたのではないでしょうか。
そんな彼の人生は「人生なんて適当なくらいがちょうどいいんだよ」と語っていました。「生きているだけでいいんだよ」と。
こういう生き方もあっていいんじゃないでしょうか。